最高裁判所第二小法廷 昭和41年(あ)1831号 判決 1967年10月13日
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
弁護人青木英五郎の上告趣意第一点は、判例違反をいうが、引用の各判例はいずれも事案を異にし本件に適切でなく、同第二点は、単なる法令違反の主張であり、同第三点は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、すべて上告適法の理由に当らない。
しかし、所論にかんがみ職権によって調査すると、原判決は、後記のとおり、刑訴法四一一条一号により破棄を免れないものと認められる。
本件公訴事実について、原判決に示された事実関係とこれに対する法律判断は、おおむね次のとおりである。すなわち、被告人は、原動機付自転車の運転業務に従事するものであるところ、昭和三九年四月二七日のいまだ灯火の必要がない午後六時二五分ごろ、第一種原動機付自転車を運転して、京都市下京区西洞院通を南進し、幅員約一〇メートルの一直線で見通しがよく、他に往来する車両のない同区万寿寺上る永倉町五五〇番地先路上において、進路の右側にある幅員約二メートルの小路にはいるため、センターラインより若干左側を、右折の合図をしながら時速約二〇キロメートルで南進し、右折を始めたが、その際、右後方を瞥見しただけで、安全を十分確認しなかったため、被告人の右後方約一五メートルないし一七、五メートルを、第二種原動機付自転車を時速約六〇キロメートルないし七〇キロメートルの高速度で運転して南進し、被告人を追抜こうとしていた小栗正三(当時二〇年)を発見せず、危険はないものと軽信して右折し、センターラインを越えて斜めに約二メートル進行した地点で、同人をして、その自転車の左側を被告人の自転車の右側のペダルに接触させて転倒させ、よって、翌二八日に、同人を頭部外傷等により死亡するに至らせたものである。そして、もし、被告人が、右折開始の直前に、右後方を十分注意して見ておれば、小栗の自転車を発見することができたはずであり、その発見と同時に、被告人が、小栗の動向ならびに彼我の距離、速度等を的確に判断して、右折の安全を確認しておりさえすれば、小栗が前記のごとく暴走して接近してきていることに気付きえたはずであり、これとの衝突を避けるため右折を一時中止することにより、本件事故の発生を防止しえたものと考えられるから、本件について、被告人の過失を全く否定することはできない、というのである。
たしかに、被告人が原判断のような注意をしておれば、本件事故は発生しなかったか、少なくとも本件事故とは異なる事故になっていたであろうと思われる。問題は、被告人に右のような注意義務があるかということである。そこで、以上の事実関係を基礎にして、被告人の注意義務に関する原判断の当否について考えることとする。
被告人は、進路右側にある小路にはいるため、原判示のように、センターラインより若干左側を、右折の合図をしながら時速約二〇キロメートルで南進し、右折を始めたというのであるから、その後方にある車両は、被告人の自転車の進路を妨げてはならないのである(本件当時の道路交通法三四条四項参照)。また、このような状態にある被告人の自転車を追越し、もしくは追抜こうとする車両は、被告人の自転車の速度および進路に応じて、できるだけ安全な速度と方法で進行しなければならない(同二八条三項参照)のみならず、本件現場は、センターラインの左側の部分が約五メートルあるのであるから、センターラインの右側にはみ出して進行することは許されないわけである(同一七条四項参照)。ところで、被害者小栗は、被告人が右折を始めた当時、その十数メートル後方にいたのであるから、被告人の動向、ことに被告人が右折しようとしているものであることを十分認識しえたはずである。したがって、小栗としては、右法規に従い、速度をおとして被告人の自転車の右折を待って進行する等、安全な速度と方法で進行しなければならなかったものといわなければならない。しかも、右距離は、このような行動に出るために十分なものと認められる。しかるに、小栗は、時速約六〇キロメートルないし七〇キロメートルの高速度で、右折しようとしている被告人の右側から、被告人の自転車を追越そうとして、すでにセンターラインを越えて約二メートルも斜め右に進行している被告人の自転車の右側に進出し、これと接触したというのであるから、小栗の右追越し(原判決は、小栗は、被告人を追抜こうとしたものであって、追越しをしようとしたものではないとしているが、小栗は、右のとおり、センターラインを越えた被告人の右側に進出し、その前方に出ようとしていたのであるから、むしろ追越しに当るものとみるのが相当である。)は、交通法規を無視した暴挙というほかはなく、これが本件衝突事故の主たる原因になっていることは、原判決も認めるところである。
ところで、車両の運転者は、互に他の運転者が交通法規に従って適切な行動に出るであろうことを信頼して運転すべきものであり、そのような信頼がなければ、一時といえども安心して運転をすることはできないものである。そして、すべての運転者が、交通法規に従って適切な行動に出るとともに、そのことを互に信頼し合って運転することになれば、事故の発生が未然に防止され、車両等の高速度交通機関の効用が十分に発揮されるに至るものと考えられる。したがって、車両の運転者の注意義務を考えるに当っては、この点を十分配慮しなければならないわけである。
このようにみてくると、本件被告人のように、センターラインの若干左側から、右折の合図をしながら、右折を始めようとする原動機付自転車の運転者としては、後方からくる他の車両の運転者が、交通法規を守り、速度をおとして自車の右折を待って進行する等、安全な速度と方法で進行するであろうことを信頼して運転すれば足り、本件小栗のように、あえて交通法規に違反して、高速度で、センターラインの右側にはみ出してまで自車を追越そうとする車両のありうることまでも予想して、右後方に対する安全を確認し、もって事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務はないものと解するのが相当である(なお、本件当時の道路交通法三四条三項によると、第一種原動機付自転車は、右折するときは、あらかじめその前からできる限り道路の左端に寄り、かつ、交差点の側端に沿って徐行しなければならなかったのにかかわらず、被告人は、第一種原動機付自転車を運転して、センターラインの若干左側からそのまま右折を始めたのであるから、これが同条項に違反し、同一二一条一項五号の罪を構成するものであることはいうまでもないが、このことは、右注意義務の存否とは関係のないことである。)。
そうすると、本件において、被告人に過失責任を認めた原判決は、法令の解釈を誤り、被告事件が罪とならないのに、これを有罪としたものというべく、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、刑訴法四一一条一号によりこれを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。
よって、同四一三条但書、四一四条、四〇四条、三三六条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 色川幸太郎)